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DON HISTORY

丼教典

丼の歴史

ドン・フリークス(1830~1946)

丼の歴史を学ぶことの重要性

人に歴史あり。丼に歴史あり。
丼界を代表する歴史者ドン・フリークス氏による「丼の発展段階モデル」は、今や丼を愛するドンたちの間では通説だ。そして成熟したオトナの教養として、社会常識として認知されている。

そう、この理論を知らないことは、もはや恥である。
だが、未だこの学説を知らない者がいるのも理解している。
全国丼連盟として、オトナへの階丼を登ろうとする新米に向けて、ここはひとつ、大丼振る舞い的に、優しく説明したいと思う。
ドンと聞いていただきたい。
 

 

 

 


丼黎明時代<<紀元前500年~1330年代>>
丼黎明期。日本人は稲作を始めていたが、丼とはそもそも、飯に他の料理を盛る料理である。それゆえ、稲作だけでなく、他の料理の発展を待たねばならなかった。丼にとってはもどかしい夜明け前の時代である。

 
 

『家内経済と丼』原子丼時代<<1330年~1570年代>>
丼の誕生は室町時代の「芳飯」と呼ばれる料理が原点とされる。飯に野菜等と出汁を加えたものだ。元来、日本人は飯と親和性のある食事を好む。そこで、「いっしょに食べればいいんじゃね?」という発想が芽生えた。ただ、このときは家内経済的時代だ。作り手と消費者の距離は至って近い。産みだされた丼は、同一経済圏の食べ手に消費されたのだ。ゆえに丼の発展性も限定された。そう、丼が発展するには、まず国力の拡充が必要だったのだ。一流の経済学者は、丼文化で国の成熟度を測ると言われるゆえんである。

 
 
『都市経済と丼』丼原型時代<<1600年~1860年代>>
本格的な丼の誕生は、江戸時代という都市経済の成立を待つ必要があった。例えば一台の自動車を完成させるためには、数多の技術が必要だ。同じように、一杯の丼は複数の料理文化が詰まっている。たとえば天ぷらなくしては、天丼はありえない。丼とは、高度な文化集積的料理なのだ。さらに江戸っ子気質も大きな成立要因だった。飯も手早く食べたい江戸っ子気質が、飯の上に直接おかずを載せさせたのだ。そして時代は、ついに一杯の丼に「天ぷら」と「飯」を融合せしめたのである。

※現代型丼の原型は「うなぎ」という説もあるが、ここでは天丼説を採用。うな丼に関しての詳細は、丼の分類学を参照。

 
 
『資本主義経済と丼』丼発展時代<<1860年~1970年代>>
「ざんぎり頭を叩いてみれば、ドンと文明開化の音がする」。丼文化史の定番フレーズだ。明治、大正は、大正デモクラシーとして知られ、民主主義の自由な気風と資本主義経済が発達した。古き伝統を打ち破るように、「牛丼」(1890年代)、「親子丼」(1891年)、「かつ丼」(1920年)が誕生し、丼文化は急成長した。「丼」の定番は、この時代にほぼ産まれている。戦中は一時丼文化も停滞したが、高度成長期には遅れを取り返すように「ビフテキ丼」(1950年代)が作られ、さらに海鮮丼も登場。多彩な丼を見て、人々は「もはや戦後ではない」と言い合った。

 
 
『新自由主義経済と丼』丼多様時代<<1980年~現代>>
時代は、グローバル時代へと突入し、新自由主義経済で突き進むことになった。こうなると、丼もイケイケドンドンで国境を越えてグローバル化するように思われた。一部は確かに「Japanese Rice bowl」と言われて世界に向かった。しかし、グローバル化を支えた高度に発達した情報網と流通網は、むしろ全国各地域に眠っていた丼の「再発見」を促した。そして国内のヒトと丼の流れが活発化し、ご当地丼が隆盛したのである。世はまさに、ご当地丼時代。グローバルな今こそ、地域の魅力を一杯で表現するご当地丼が活躍しているのだ。丼多様性時代の幕開けである。